SNSをやめたのは、「映えない暮らし」を大事にしたかったから。
人に見せるための何かではなく、自分のための時間と記憶を大切にしたくなったのです。
今回は、SNSをやめた経緯とその後についてお話しします。
元々やっていたSNS
大学生でスマホを持ってから、私はSNSのヘビーユーザーでした。
Facebook:先生や先輩、同僚と繋がる場。近況報告用。きちんとした文章で、見られることを意識して投稿していました。
Twitter:友人との何気ないやり取りに。リアルタイムで発信する用。一番多くの人と繋がっていました。
Instagram:写真や日々の風景を記録。おしゃれさを気にして投稿していたかもしれません。
全部やめた
15年(!)ほど続けていたSNSですが、結婚を機に全部やめました。
婚約、結婚…
この先の人生の節目のたび「ご報告」を重ねることに、違和感がありました。
SNSをやっているとつい見栄を張ってしまいそうだし、
誰かに報告する前提で生活の一部が動いていくのが、しんどく感じたのです。
夫とは共通の友人も多かったので、私がやめても大丈夫かな、と思えたのも大きかったです。
やめて良かったこと
・人生のイベントを、誰かに見せるものではなく自分たちのものとして大切にできた。
・「そろそろ何か投稿しなきゃ」という義務感から解放された。
・日常を、記録ではなく体験として味わえるようになった。
私は見栄っ張りなので、SNSをやっているとつい頑張っちゃってたんですよね。
載せるために映えそうな写真を撮ったり、何かあると「投稿できる!」と思ったり…
やめてみて、そんな自分に気付きました。
ちょっぴり後悔すること
・友人たちの近況がわかりづらくなった
→本当に深い関係の人は個別で連絡をくれるように。
・お店の開店情報や限定商品がInstagramだけの発信だったりして不便。
→ 夫に見せてもらったり、閲覧専用のツールを使うことで対応しています。
少し困る瞬間があっても、なんだかんだどうにかなっています。
「友達登録すると⚪︎⚪︎プレゼント!」などは、ミニマリスト的観点から不要なものを増やす原因にもなるので、サービスを受けられなくて損とは感じません。
こう考えると、やめて後悔より良かったことの方が多い気がします。
まとめ:やめたら、自分に戻れた
SNSをやめて不便なこともあるけれど、
それ以上に「自分でいられる時間」が増えた気がします。
“見せる暮らし”より、“味わう暮らし”を選んでよかった。
今はそう思っています。